こんにちは、村田です。
6月もあっという間に折り返し地点!すぐに7月がやってきますね。
本当に時が経つのはあっという間ですね。
私は普段何しているんだろうとふと考えてみました。
- コーヒーやお酒を入れてお客様とワイワイ
- 練習(今現在従事している仕事に関わる全てのこと、また現段階で必要になるとわかっているもの)
- 卓球のレッスンしながら叱咤激励
- トレーニングをして自分のMっぷりを確認
- もぷ君とひたすらイチャイチャ
- ひたすらボーッとしながらアイデア出し
- すっかり根付いてしまった大好きな街、神楽坂散策
- 映画鑑賞、世の中の流行を知るべくたまに世間一般で言われるオシャレな場所へ出向く
- 美味しい料理、コーヒーを求めて探検
- 少し勉強(仕事に直結するかどうかは定かでない、でもすると信じている)
- 少し読書(ジャンルは様々、遊び、趣味、ビジネス関連等なんでも興味を持ったもの)
- トレーニングに関するサプリなどの調査
うーん。なんかそこ少しじゃだめなんじゃない?と自分でも思っていますので大丈夫です(笑)
しっかりとやるときはやっているはず、多分。
でもこうして書き出して見ると、もっとこれやろうとか、時間の使い方とか、改めて考え直すきっかけになりますよね♪
ボーッとしながらアイデア出し、この時間は非常に私にとって大切な時間です。
だからもっとボーッとしようと思います。
とまぁ、雑談はこの位にしておいて。
本日のブログではこの私の日常にも記載のある、神楽坂について。
私が会う人みんなにオススメする神楽坂という街
本日のブログ内容
contents
神楽坂の歴史
まず、なぜ私がこの神楽坂という街にお店を出そうと思ったか。
雰囲気が好きだったから!!(笑)
本当にこれだけです。
一応マーケティングとか、しましたよ。一応。
人口や、隣接している区の状況など、調べましたよ。一応。
でも、せっかく独立して起業するとなった時、やっぱり自分がこの街好きだと思える場所にしたいという気持ちが強く、自分次第でどうにでもなる精神でこの神楽坂に決めたんです。
結果、今思うと本当にこの場所にしてよかったなと思っています。
もちろん何かをスタートする時、根拠となる材料、情報、人脈などあるに越したことはありません。
でもそれだけに捉われてしまうと本当に自分がやりたくてやっているのか、分からなくなると思います。
何事もバランスよくですね。潰れてしまったら元も子もないですから。
神楽坂のはじまり
- 700年以上前の14世紀頃、群馬県赤城山南麓(現在の前橋市大胡地区)の豪族大胡氏が今の光照寺周辺の高台で社殿北側からは特に見晴らしがよい台地に牛込城を築いたのが神楽坂発展のはじまりです。
- 現在の神楽坂通り商店街の約4分の1の地域が城を囲む石垣の郭(城の周囲にめぐらされた囲い)の中となり郭内に武器造りの職人が住み兵器庫のある兵庫町が造られました。
- 兵庫町は現在の寺内公園辺りにあった行元寺の門前町屋とともに徳川家康の江戸入城時には新宿区で唯一 町の形をなしていた地区であったそうです。
江戸時代
江戸時代、大老坂井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を拝領した1628年頃、坂下には江戸城の外濠、牛込見附が完成し、両者をつかぐ約1kmの大老登城道が造られ、沿道は武家屋敷として地割りされ、これがほぼ現在の「神楽坂通り」です。
また、矢来町の先、現在の神楽坂6丁目付近には多くの寺院が移転され、10軒もの寺が並ぶ通寺町、横寺町が形成されました。1658年には牛込から和泉橋まで神田川が開通、現在の飯田橋駅北側の揚場町に津が開かれ軽子坂付近は多くの人と物資が行き交う場として賑わうようになります。
江戸中期になると、毘沙門天(善国寺)の「寅の日」、出世稲荷の「午の日」の縁日や赤城神社の賑わいとともに江戸文化を謳歌する街となり現在の神楽坂の礎となりました。
明治〜現在まで
明治期になると武家屋敷が撤去されて神楽坂は町人の街へと変わりました。
今より急で階段もあった神楽坂通りは明治10年代に緩やかな坂道に変わりましたが、路地などの街割りは現在に至るまでほぼそのまま残されています。明治28年、甲武鉄道牛込停車場(現在の飯田橋駅)の開設を機に、商店街や住宅街として急速に発展した神楽坂。縁日は連日連夜大盛況「山の手銀座」とも呼ばれ人が歩けないほどの賑わいを見せました。こうして神楽坂が商業と文化の繁栄する街となっていきました。
- 昭和に入り、花柳界の最盛期であり、新旧2つの見番に芸者置屋が166軒、芸妓数は619名を数えるほどになるほどに盛況します。
- 戦中戦後を経て昭和30年代後半には花柳界は再び盛り上がり、第二の隆盛期を迎えました。高度成長期、政治家をはじめ多くの人々が料亭を利用し、花柳界を舞台に活発な活動をした時代でした。
- いまでも神楽坂通りから一本奥へ入るとその頃の雰囲気を味わえますよ♪
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- そして現在、脈々と受け継がれる古典芸能や花柳界の文化、老舗の伝統に江戸のまちの面影、
さらに新たな現代的魅力を持ち合わせる「神楽坂」は健在しているわけですね♪
- そして現在、脈々と受け継がれる古典芸能や花柳界の文化、老舗の伝統に江戸のまちの面影、
神楽坂に来たらまずはここへ!おすすめスポット
どうでしょう、少しだけ神楽坂のこと、分かりましたか?
伝統と現代の魅力を併せ持つ素敵な街、神楽坂。
私自身おすすめしたい料理屋さん、カフェなどたくさんありますので少しずつ次回以降紹介させていただくとして。
今までもいくつかご紹介しています♪
今回のブログでは神楽坂に来たらまず立ち寄ってほしい神社仏閣スポットをご紹介します♪
赤城神社
日本で一番おしゃれな神社と言われている赤城神社
こちらの神社は、明治9年に戦火で焼失してしまっていたところ、2005年に『旺文社』の寄付により再興されたという経緯があります。
赤城神社には『岩筒雄命(いわつつおのみこと)』のほかに、『赤城姫命(あかぎひめのみこと)』が祀られています。この御神体はお詣りに来た女性の願い事を叶える女神様といわれています。
多くの女性が良縁成就、夫婦円満、安産などを願い赤城神社を訪れます。また、江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされていた、由緒正しい神社です。
何より、グッドデザイン賞を受賞した神社とは思えないスタイリッシュな造り、境内には某ドラマのロケ地として使われていたマンションもあり、1階にはカフェがあります♪
赤城神社のご本殿の向かって左側にあるのが、『蛍雪天神』です。学問の神様・菅原道真公をお祀りされている事から、蛍雪天神の右横にある絵馬を奉納する場所には、合格祈願の絵馬がたくさん掲げられています。
毘沙門天(善國寺)
創設400余年という歴史を持つ善國寺。江戸幕府を開いた徳川家康公にゆかりのあった初代の住職が、江戸の街と徳川家の安泰のご祈祷をしたと伝わっており、そこから長い徳川幕府の時代は続いていきます。
水戸黄門でおなじみの水戸光圀公も信仰していたそうで、現代でも人気の高い家康公と光圀公が信仰していたと聞くと、感慨深いですね。
また、是非見ていただきたいのが「狛虎」です!
普段、神社などでよく目にするのは「狛犬」ですが、こちらは「虎」であることに注目。しかもこの狛虎、なんと戦火をくぐりぬけ、今も昔と変わらぬ姿でこの場所に立っているそうですよ♪
是非ご自分の目で確かめにいってくださいね(笑)
東京大神宮
東京・飯田橋駅から徒歩5分。神楽坂駅からですと10分程でしょうか。
ビルが立ち並ぶオフィス街に鎮座する、「東京大神宮」〝東京のお伊勢さま〟として親しまれ、
格式高い「東京五社」のひとつです。そしてさらに、いま東京で最も縁結びのご利益がある〝恋のパワースポット〟としても人気急上昇中です。
東京大神宮は、とにかくお守りの種類が多いことでも有名です。なんとそのかず40種類以上も!!
伊勢神宮と同じ参拝効果が得られる東京大神宮ですが、その効果は多岐にわたり多くの人がその参拝後効果を実感しているようです。主に、縁結びや安産のご利益を感じた女性の声の多さも話題になっています。
先日お越しいただいたお客様の友人も東京大神宮へ参拝したあと、なんと3ヶ月後には婚約したとか!
まとめ
いかがでしたでしょうか?少しは神楽坂に興味が湧いて来ましたか?
休日にのんびりするのにも、大切な人とのデートにも、久しぶりに会う友人とゆっくりとご飯をたべるのにも、取引先企業との接待にも、どんな場面においても神楽坂は期待を裏切らないと思いますよ♪
まだ行ったことがない方、是非一度神楽坂散策してみてくださいね♪
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